ちょっと古い話ですが、代理出産に対し、2007年3月に最高裁判決が出されました。多分、これは有名な芸能人に関するものだと思います。
私は、これを聞いた瞬間、目が点になりました。確かに、現状の民法に則れば、そんな結論が出るでしょう。最高裁の裁判官に期待されているのは、そういう事ではなく、法律が正しくなければ、それを正す方向に持っていくということであり、又、それが、司法の最高部門としての役割だと思ってました。。。 何が驚きかといえば、 ・子供の福祉について、触れてはいるようですが、結局、それを考慮してない判決になっていること。 ・「産みの親か、遺伝子上の親か」となれば、遺伝子上の親が、本物の親であるというのが生物学を勉強していれば出る解です(そんな事は常識だと思ってましたが)。 親子問題で問題になるとすれば、「育ての親か、遺伝子上の親か」のケースです。なんらかの理由で育ての親が育てた後なので、子供から見れば育ての親が親のように見え、もめるのはわかります。 しかし、今回の場合、「産みの親か、遺伝子上の親か」のケースです。しかも産みの親は全然育てておらず、又、親であることを主張している訳ではないのです(そういう代理出産の契約を行っている訳ですから)。そういう状況の中で、遺伝子上明らかに親である人を親と認めない、というのは、どういうことでしょう。 以下、最高裁判決の一部抜粋:
上記の判決文一部抜粋は、論理が矛盾しています。公益及び子の福祉に深くかかわるのであれば、遺伝子上の子を実子と認めるのが、子の公益、福祉に最も良いのではないですか。それなのに反対の事を言うとは、この判決の論理がわかりません。 民法の規定が間違っていれば、それを正すのが裁判官の役割です。そのための三権分立なのですから。遺伝子上の子であれば、親子関係を持つのは当たり前なのに、民法にそう定めてあるから、認めない、というのは、古い考えにしばられて、杓子定規過ぎで、哀しすぎます。 おまけに、今は代理出産を認めるか認めないかが争点ではなく、実子として認めるかどうかが、争点なのに、話を隣の領域の一般的な問題(代理出産)にまで広げすぎた判決です。例えば、万一、代理出産が良くない、という事であっても、その問題と、今回のケースにて親子関係があるか、という事は全く別問題なのです。親子関係は、生物学的に見て、遺伝子の関係があれば、親子なのは明白です。 今回の場合、遺伝子上、親子関係があることは明白である点、産みの親と争われている訳でもない点を考えると、出生届けを受理する、とするのが真っ当な判決に思われます。それなのに、親子関係を認めない判決を下すというのは、この判決文をいくら読み返しても、私には理解できません。 私としては、本当にあるべき姿は、以下だと思います。 ・遺伝子上の親子関係があれば、親子と認める。 (病院の証言、DNA検査などがあれば、それを証拠とし、裁判にまでする必要なし) ・育ての親、産みの親との間で、トラブルがあれば、そこで裁判となる。 (勿論、契約があれば、それを優先する。それが民法ではないでしょうか。) その上で、一般的に代理出産は法的にどうあるべきか、を検討する。上にも述べましたが、今回の判決の場合、親子関係以外の代理出産一般の問題を含めすぎている点、生物学的な事を考慮せず、古い時代の民法の考え方を優先している点が最もおかしいですね。生まれた子供の福祉にも良いものになっていないし。 最高裁で判決が出ましたが、この件だけは、何とか、再審、もしくは、行政の再考が欲しい件です。 最高裁判決に納得しない人は、次回、この判決を下した最高裁裁判官には、次回の国民審査で、それなりの投票をしましょう。それが国民に認められた唯一の最高裁裁判官を正す方法なのですから。上記判決が正しいかどうか、皆さん良く吟味して投票してください。でも、この国民審査の方法も皆に浸透しておらず、相当な運動を起こさないといけないと思います。尚、最高裁裁判官に任命された後の最初の総選挙の時と、その10年後にしか、国民審査の対象にならないようなので、この裁判官達が対象かどうかわかりません。国民審査の方法も、もっと頻繁に行うように法律を修正すべきかもしれません。又、国民審査にて、どの事件でどういう判決を下したか、見えるようにして投票する仕組みを作った方が良いかもしれません。 ![]() |
医療制度改革関連法が2008年4月から施行されようとしている。それに関する2008/1/5の朝日新聞の26面で、気になる記事があった。
記事抜粋:
第2文の事実上の罰金というのは、罰金というよりも、例えば、医療を支える負担金を増額する、ということだと思いますが、実際のところ、罰金と同じことですね。 第1文のように、目標に掲げるのは良いのですが、これに対して罰金を設ける、ということは憲法違反だと思います。 日本国憲法抜粋:
憲法違反の可能性: ・メタボリックの率を減少させるためには、「新規採用では、メタボでない人を採用し、既存の労働者に対してはメタボの人を解雇させる」、という人事政策に直結する。これは、個人としての体形を尊重されておらず、又、メタボの人は人間として労働機会の点において平等に扱われない事になる。差別につながる。 ・「すべて国民は、個人として尊重」されていない。即ち、体形について、メタボの人は駄目だ、と突きつけているようなものである。確かに健康上は、良くないのかもしれないが、体形には自由がないのだろうか。いっそのこと、憲法第14条に、体形の自由、というのも明記して良いのではないだろうか。現在、体形の自由は、明記はされていないが、14条の思想に含まれている、と私は考えている。 ・従業員が、メタボ脱却のための、無理な要求(運動メニューや食事制限)を会社から突きつけられ、運動や食事制限を強制される。これは、個人の自由を侵すものである。会社から離れても会社のために、運動に従事しなければならない。 その他の問題: ・従業員が会社から運動メニューや食事制限を突きつけられるのは、それを達成するための余計なストレスにより、より一層病気になりやすくなる、という悪弊も考えられる。 ・そもそもの問題として、会社には働くことを目的として人が集まってくるのに、何ゆえ、個人の健康問題にまで口を挟まれないといけないのか、甚だ理解に苦しむ。 ・しかも、その目標が全く、合理的でなく、正しいとも言い切れない状況において、その目標数値を採用している。例えば、腹囲85cmという基準が正しいとは思えないのに、それを1つの指標とした上で、それに対して罰金を課す、というのが何ゆえ成立するのか。 ・そもそも健康問題は、個人の問題である。それなのに、企業が達成できなかったら、その企業に罰金を課す、というのは、個人の自己責任の問題を企業の問題にすり替えている。一種の悪しき連帯責任、というものであり、たまたま、その会社にメタボの人が多かったら、給料が減る(企業が罰金を払うので)、という、おかしな仕組みである。 ・そもそも健康問題、という個人の問題に対して、それが達成できなかったら罰金を課す、ということ(企業を経由した間接的な罰金)は、過干渉であり、政治の余計なおせっかいである。 ・あんまり努力なく、メタボから抜け出れる人もいるだろうが、一方、種々の問題で(例えば身体障害者で運動できない等の理由で)メタボを治すことが出来ない、体質的にメタボを治すことが人がいるはずである。そのような人のことを考慮しているのだろうか。 ・種々の病気があるのに、なぜ、メタボだけが、罰金の対象になるのか、明らかでない。他にもいろんな病気があるのに。 ・厚生労働省は、こんなことよりも、薬害が起こらないようにするだとか、に集中して欲しい。 以上の考察より、この法による益よりも弊害の方が多いと考えられるので、健康問題(メタボ)に絡んだ、企業への罰金はやめるべきである。 ![]() |
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